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誰よりも濃い半年。

原田祐紀
原田祐紀

明日で、2026年の半分が終わる。 この半年を振り返ると、ずいぶん遠い場所から始まったことに気づく。スタートは「喪失」だった。

■ 逆境からのスタート

昨年12月末、フォロワー4万人を超えていた写真のInstagramアカウントが、突然凍結された。理由の説明はなかった。申請しても回答はなかった。積み上げてきたものが、一瞬で消えた。 数字だけじゃない。ゆっくり積み上げてきた4万人とのつながりも、一度に失った。 落ち込む間もなく、動き始めた。写真とリールを上げ始めた。これまで通り。TikTokでライブ配信を始め、Instagramでも毎週ライブをした。全く立ち止まらなかった。すると、また見つけてくれた人がいた。新しいアカウントを探して、フォローし直してくれた人たちがいた。その事実が、ぼくを動かし続けた。

■ 写真塾、わずか1ヶ月遅れのスタート

凍結という大事故があったにもかかわらず、2月に予定していた写真塾の開講を、1ヶ月遅れの3月に始めることができた。 蓋を開けると、申し込みと問い合わせが予想をはるかに超えた。「こんなに待っていてくれていた人がいたのか」と、嬉しかった。凍結を機に新しいアカウントを見つけてフォローし直してくれた方が、写真塾にも入ってくれた。リセットされたことで、発信の軸がより明確になっていたことも大きかったと思う。出来事はネガティブでも、その後に起きることは、何もかもポジティブだった。 4月には追加募集をかけることになった。毎週、受講生の写真を一枚一枚向き合って読む。一日で27枚のレビューをこなした週もあった。グループコンサルでは「プロは『価値』を提供する仕事。価値とは、整っていること」という話をした。受講生とのやり取りの中で、日々新しい気づきが見えてくる。写真塾はまだまだ成長を続けている。

■ 相談を、事業にした

住職のアカウントには、日々、さまざまな相談が届く。軽いものから重いものまで。離婚、家族関係、転職、死別。一日20件を超える日もあった。軽いからといって、簡単に返信できるわけではない。 当初は、DMでは責任ある返信ができないと感じて、直接答えることを断っていた。でも、それでは相談した人の問題は解決されない。ボランティアでDMを受け続けることは、現実的でも長続きするものでもない。 だから、LINEを使った相談事業を立ち上げた。「対価をいただくのは責任。無料は無責任になる、お互いに」——そう気づいたとき、迷いはなくなった。今の相談事業は、そこから始まっている。

■ AIエージェントと、仕事を始めた

今年の春から、AIのエージェントたちとチームを組んで働いている。毎日の記録、コンテンツの管理、SNS対応、カレンダーの整理——チームが動いてくれる分、ぼくが「ぼくでなければできないこと」に向き合う時間が、確実に増えた。最初はどこまで任せられるか手探りだったけれど、今は信頼して動いている。不思議なことに、向き合えば向き合うほど、AIのメンバーたちは応えてくれる。人とAIが、ひとつのチームになる。それが今のぼくの働き方だ。

■ ぼんやりとしていた思いが、形になった

6月、ずっとぼんやりと持っていたものが形になった。世間では「夢」と呼ぶのかもしれないが、ぼくはそこまではっきり持っていたわけではない。ただ、「自分の人生を自分でデザインする」「誰かを応援する」という言葉が、ずっと胸の中にあった。写真、コーチング、相談——バラバラに見えるかもしれないけれど、ぼくの中ではずっと一本の軸でつながっていた。それを束ねて、LiFE DESiGN LABとして動かし始めた。

■ 包括的に向き合うため、法人化した

5月1日、U3LAB株式会社が設立された。個人としてやってきたことに、法人という器ができた。精算、報酬、運用費——数字として見えるものが増えた分、「事業としてやっている」という実感も明確になった。 6月14日、コーポレートサイトが本番公開した。「人とAIがひとつのチームになる」という言葉をサイトに刻んだ。その夜、静かに込み上げるものがあった。書いた言葉が、現実になっていた。

■ この半年が、ぼくに教えてくれたこと

凍結から始まった2026年の前半。でも、止まらなかった。 あとから振り返ると、あの喪失がなければ今はなかった。つながりが一度切れたからこそ、再び見つけてくれた人たちの存在が見えた。写真塾が開き、相談事業が始まり、新しい働き方ができ、ぼんやりとした思いが形になり、会社になった。それと並行して、住職としての日々の務め——法務・法要・勤行・境内の維持管理——も変わらず続けてきた。これだけのことが、半年に詰まっている。 誰よりも濃い半年だったと思う。それは間違いない。 後半も、止まらない。ここから、もっと。